『結局、何も言えねえ・・・。』
日本のカウンセリングのスタイルというと基本的に「傾聴、受容、非指示」というロジャース式が一般的です。
私は長らく「指示型(提案型)」のカウンセリングをしてきているのですが、そこで辿り付いた形が今日のタイトルなんです。
私のセッションを受けたことのある方なら「うーん、そうだよなあ・・・」と腕組みをしながら考え込んでる私の姿を見たことがあるかと思います。
その間、どうしたらその問題がより良くなるのか?クライアントさんが幸せになるのか?を考えているわけですが、結局のところ、
「好きなようにするのが一番だよ」
「したいようにしたらいいんだよ」
というありきたり、そして、誰もが思いつきそうな回答を提示していることが多いのです。
「そうなっちゃうにも理由があるわけだしなあ」と思えば、クライアントさんのやってらっしゃることにあれこれ口を挟むのは領空侵犯だと思うし、「こういうやり方もあるけどなあ」と思っても、それがクライアントさんのお口に合うかどうかは分からないし、と。
で、結局のところ、とても前向きな意味で「何も言えねえなあ」と思っちゃうんです。
つまり「ああしろ、こうしろ、それはいけない、それはダメだ」みたいなことはとても言えないのですね。
とはいえ、完全なる非指示型ではないので、「その原因を排除していきましょうよ」とか「こういうことを今日からやっていきましょうよ」という提案をしたり、宿題を出したりするのですが、それだって、ほんと「私からのささやかな提案でございますが」というテイなのです。
クライアントを信頼する、プロセスを信頼する、という意図が私には常にあります。
そこから自然とクライアントさんを尊重する、という風に思っています。
その人にはその人なりの幸せの形がある、ということです。
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これはお弟子さん制度やコンサルティングについても言えることで、結局はその人が自分らしいやり方を自分で見つけていくしかないと思っています。
僕はこういう風にやってきたよ。
僕はこういう風に考えているよ。
ということを伝えることはできますが、それを強制するつもりは全くありません。
例えば、「カウンセラーとして成功するなら情報発信をしなきゃいけないよね。だって、自分を知ってもらうためにはそうしなきゃいけないし」という考え方があります。
私はその考え方に同意するんですけど、それは私が同意していることであって、お弟子さんやクライアントさんがそのやり方に合ってるかどうかなんて分からないですよね。
だとすれば、「まあ、そういう考え方が一般的でございまして、皆さんも良かったら考えてみてくださいね」とは言えるけれど、「絶対そうしなきゃダメです」なんて言えません。
そこでこれからお弟子さん制度を始めるにあたって迷いが生じるわけです。
じゃあ、どうやって個性が違うお弟子さんたちを導いていけばいいのだろうか?と。
そんなことをお弟子さん制度を企画し始めた去年の3月からずーっと考え続けてきました。
で、その結果、たどり着いたのが「何も教えない」ということ。
いや、正確には「何も教えられない」のです。
自分の姿を見てもらい、自分がやってきたことをやってもらい、それをどう感じるか?それをどう受け取るか?は各自に任せてしまいましょう、と。
ただ、やり方はお任せするけれど、あり方についてはチェックさせてもらおうとは思っています。
「それってクライアントさんのためになってる?」
「その質問の意図ってなんだ?」
「その提案はどうしてしたの?」
そうした点についてはツッコミを入れていくつもりです。
でも、やり方については何も教えられないので、自分の個性を活かすスタイルを各自で研究していっていただくことにして、その場を私は提供しようと思いました。
自分らしいやり方、スタイルを見つけることができる場。
その見つけたスタイルを安全に実践できる環境。
でも、これ、私のセッションやセミナーにも通じるところがあります。
私は場を作り、提供する人なのかもしれません。
そして、その場の中で自分を知り、見つけ、活かし、そして、そこから羽ばたいていただこうと考えています。
まあ、とはいえ、何だかんだ指示しちゃうこともあるかもしれないけれど、その人のやり方については「何も言えねえ」ということは共通しています。