『「どうしたら○○できますか?」という思いはなかなか○○できない!?』

                               

『「どうしたら○○できますか?」という思いはなかなか○○できない!?』

「どうしたら○○できますか?」という思いはなかなか○○できないような気がしています。

「どうしたらやる気が出ますか?」
「どうしたら稼げますか?」
「どうしたらうまく行きますか?」

この質問には「他人軸」の匂いがプンプンするからです。

もちろん、これは言葉が問題というよりも、その言葉を使う「意図」の方です。

「どうしたら○○できますか?」の質問には、「自分ではできないから相手にやってください」という意図が見え隠れします。

例えば、「どうしたらやる気が出ますか?」という質問をもらったとき私ならこんな質問を返します。

「やる気を出すために今までどんなことをしてきたの?」

そうすると、あれやった、これやった、それもやってみた、という答えが出て来て、「でも、やっぱりうまく行かなかった」という結論を語られます。

で、一見、「自分では万策尽きたから、その他にいい方法がないのか聞いてみる」という意味で、「どうしたらやる気がでますか?」という風に質問されます。

でも、そこで一つ結論が出ちゃったんです。

「うまく行かなかった」という。

だから、そこで「○○はどう?△△はどう?××はどう?」って言われても、でもでも星人が登場して「でも・・・それって・・・」という風に思っちゃうものです。

それは「自分でやってダメだったんだから、他の人に聞いてもダメだろう」という思いが隠れていることもありますし、競争意識が働いてることもあるし、「これだけやってダメならやっぱり駄目だろう」という結論ありきの場合もあります。

「どうしたら○○できますか?」という問いには、どこか「相手に依存する他人軸」の姿が見えるのです。

そういう意図を感じると私の場合は、

「ほんとにやる気を出したいの?」って改めて確認します。

「やる気にならなきゃ困る」とか「やる気にならなきゃいけない」という意図が隠れてることも多いのです。

これってやる気を出したいわけじゃないんですよね。
だから、他人軸な表現になっちゃうと思うのです。

それで、

「じゃあ、他にやる気が出そうな方法をあと1000個くらい探してみたらどう?」って言います。

時には「やる気がないときはそれはそれでしょうがないんじゃないの?」と言います。

じゃあ、ほんとうにやる気を出したい人はどういう質問をするのでしょう?

「あなたはどうしていつもやる気満々なんですか?秘訣を教えてください。」

「やる気を出すにはどんな方法を使ってますか?」

「やる気が出る方法を教えてください」

などでしょうか。

「どうしたらやる気が出ますか?」

とのニュアンスの違いが伝わるでしょうか?

「自分軸」で質問してるんです。

「私がやります。そのための参考になるデータを下さい」みたいな感じでしょうか。

そもそも論として「やる気がでないときに、やる気が出る質問をする気になれるのか?」という疑問もありますが・・・(笑)

あなたがもし今、解決したい問題を抱えているとして、それをカウンセラーやコーチやコンサルに質問するとき、「自分軸」でしてるでしょうか?「他人軸」になっちゃってるでしょうか?

それを確認して修正するだけでも随分と意識が変わるものと思います。

「どうしたら彼氏ができますか?」ではなく「彼氏ができる方法を教えてください」の方が相手も答えやすいですしね。

「やる気がある人はきっとこういう風に質問するはず」のような想定で相手の話を捉えるのも効果的じゃね?という提案でした。

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