『カウンセラーは個性で売っていく』

                               

『カウンセラーは個性で売っていく』

個性というととても幅広いジャンルの話になるわけですが、あなたがあなたである証、だと思ってるものです。
顔もスタイルは目に見える個性です。ファッションも声も仕事も趣味も個性です。

そして、あなたの価値観や考え方や性格も個性です。

それは存在しているものであって、良いも悪いもありません。
あるもんだから、しょうがないわけです。

ここで自分を否定的に見ると、自分が持っているものには価値を見られず、ないものに価値をおくようになります。

あの人はあれができるけど、自分はそれができないからダメだ、と。

自分にはあの要素がない。それを持っているあの人はだから成功するんだ。

自分にもあの要素があればもっとうまく行くのに。

私も散々そういうことを思ってましたけど、あるときから、しょうがないよなあ、と思うようになりました。
ないものはしょうがない。それが必要ならある人に手伝ってもらおう!と他力本願を学びました。

私はあれこれアイデアを浮かべるのは好きなのですが、その実行力に多少の問題があります。また、飽きっぽいので長く同じことを続けることができません。
また、人との折衝や付き合いも得意ではないので、あまり顔は広くありません。
なので、その部分を補ってくれる岩橋夫妻と一緒に仕事をしています。

ないものを受け入れると、あるものに光が当たります。
あるものに光を当ててから、ないものを受け入れると考えがちで、それもいいんだけど、どっちでもいいのです。

私の師匠は漫談家みたいに人を笑わせたり、楽しませたりするのが得意です。私にはその要素はないよなあ、と思ってました。でも、別に人を笑わせなくてもカウンセラーはできるわけです。まあ、そりゃそうだわ。

一方、私の同期にとても聞き上手な友人がいます。誰もが彼女と話したくなるようで、周りの人からお誘いが絶えません。
私は話を聞くのはあまり上手ではなく、相槌もうまく打てません。彼女は天然のカウンセラーだ!と羨ましく思ってました。

でも、話を聴けなくてもカウンセラーはできるんです(笑)

私は分析したり、解決策を考えたりするのが好きなので、話を聴くのは情報収集のためです。共感は苦手だけど、情報収集は好きなのです。それに気付いてから、共感とか受容というカウンセラーとして当たり前に必要だと言われてる要素がなくてもいいや、と思うようになりました。

受容と共感は信頼関係を築いたり、それだけで相手の心を癒したりできる素晴らしい才能なのですが、私にはどうもそれが欠けているのです。
でも、信頼関係は別の方法でも築けるし、癒しの方法は無限にありますから、別にそれがなくても困らないことに気付いたのです。

私は文章を書くのが好きだし、分かりやすく伝えるのが好きだし、それなりに論理的に表現できます。
それで信頼関係は築けるし、時には癒しも生めます。

方法は100万通りもあるんだから、自分が持ってるものを組み合わせて、自分がやりやすい、自分らしいやり方を見付ける(創造する)ことで、なんとでもなるんです。

これはもちろん営業宣伝広報においても同じです。ブログを書くのが苦手なら動画で、イラストで、口コミで集客すればいいのです。
方法論にこだわる必要なんてありません。

自分にすでに備わっている個性を活かして、自分に合うやり方をしていけばいいのです。

これをビジネスの世界では「強みを尖らせる」などと言います。

それに気付けば世界でたった一人のカウンセラーになれます。

だからこそ、自分のことをよく知る必要があります。女性の皆さんは自分の髪質やお肌について、よくご存知だと思います。嫌だといっても癖っ毛は直らないわけで、それを受け入れた上で、かわいい髪型を長年模索してきたと思います。

それと同じことですね。

癖っ毛だからかわいくないわけでなく、工夫次第で美人になれます。メイクも同じ。

自分を知り、あるものを受け入れて、肯定することです。
そして、自分の個性を改めて眺めて、どうしたらいいのか?を考えていきましょう。
そのためのノウハウは世界中に転がってます。

もし、その個性を知り、さらに強みを見付けて活かせる方法が知りたければこのセミナーを活用ください。

東京:1/27(日)13:00-16:00 カウンセラーとしての「強み」を発見して「活用」するセミナー~ストレングスファインダーを活用して~(神楽坂)
https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/27596

今のあなたで十分成功できます。
その秘訣についてお話しさせてもらいました。

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